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生徒もろきみ!φ ★
2012/06/23(土) 14:58:28.71 ID:???
那珂川町恩田の御霊(ごりょう)神社に江戸時代から伝わる銅製の香炉に刻まれた漢文が初めて現代語訳された。那須与一の
勇名をたたえる内容で、当時から与一が広く知れ渡っていたことが明らかになった。香炉を保管する氏子らは地域の歴史を多くの人に
伝えようと、説明板の設置などを計画している。(伊沢利幸)
◇
「(那須与一)宗隆は馬を海の中に飛び跳ねさせながら入り矢を放ち、見事に命中。扇はすぐに波の上にばらばらになって落ちた」
銘文に記されていた与一が屋島の合戦で扇の的を射落とした場面を、那須文化研究会会員で県立大田原東高教諭の
大沼美雄さん(54)はこう現代語訳した。
香炉は、那須家が改易となった後、和泉国(現大阪府の一部)から烏山藩主としてやってきた徳川家譜代の永井直敬(なおひろ)が
元禄6(1693)年に御霊神社に奉納したものだという。
この御霊神社は京都・伏見で与一が急死したため従者が分骨して帰り、その兄が社殿を造り祭ったのが始まりとされ、近くには与一の
生誕の地といわれる神田城跡がある。永井は、与一ゆかりの地・恩田を頻繁に訪ねては、那須家や与一にまつわる故事を調べた。
そして与一の誕生、屋島の合戦などの逸話を香炉の正面、左右の側面、背面に詳しく刻ませたという。
これまで氏子たちが香炉を保管し、年に一度の例祭のときに地元の人たちに公開してきたが、銘文の内容を明らかにして後世に
伝えようと計画。県漢詩連盟副会長も務める大沼さんに現代語訳を依頼した。
解読により、永井が銘文の中に「(500年以上たった)今になってさえ12、13の子供でも与一の弓矢の実力を知らないものはいない」
と書き残していたことも明らかになった。
大沼さんは「香炉からは江戸時代まで与一の勇名が全国的にも知られていたことが分かる。加えて藩主の永井がこの香炉を奉納した
意味なども浮かび上がってきた」などと語った。
氏子らは「現代語訳を通して香炉の歴史を地域をはじめ多くの人に伝えるとともに、子供たちの教育にも役立てたい」と話す。また、
大田原市の那須与一伝承館も与一に関する貴重な資料として香炉に注目。「香炉を市民らに公開する機会をつくりたい」と、企画展の
開催などを検討するという。
ソース(MSN産経ニュース) http://sankei.jp.msn.com/region/news/120621/tcg12062102070002-n1.htm
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