2chのほのぼのニュースの過去ログをまとめました
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
生徒もろきみ!φ ★
2012/07/31(火) 23:25:30.18 ID:???
仙台藩主伊達政宗との関わりが指摘されていた米沢市の舘山城跡の発掘調査現地説明会が30日開かれ、市教委は
新たに16世紀ごろのかわらけ(素焼きの土器)の破片などが発見されたと発表した。これにより城が日常的な生活の場だった
ことが証明され、この時代に米沢を支配していた伊達家の中心的居城で、政宗生誕の地である可能性がさらに高まった。
写真=舘山城跡で見つかった水路遺構
http://yamagata-np.jp/news/201207/31/img_2012073100568.jpg
舘山城は、小樽川と大樽川が交わる丘陵地の山城で、16世紀の伊達晴宗、輝宗、政宗3代の時代の城であることが
分かっている。今回の調査では、山の麓にある入り口「大手口」から山頂にある本丸の玄関口「虎口(こぐち)」までの通路と、
虎口周辺の計約140平方メートルを調査。通路の途中から、かわらけや土鍋などの破片約50点が見つかった。発見場所の
上部にある本丸から流れてきたとみられ、本丸が日常的な生活の場だったことが分かった。
他に、通路部分の道幅が約3.6メートルだったことや、虎口部分から長さ7メートルの水路遺構が発見されたこと、床に当たる
部分が粘土を張り付けた構造になっていることなどが報告された。通路の大半は崩落しており、政宗が米沢から岩出山城
(宮城県大崎市)に移る際、故意に破壊した可能性が高いという。
写真=発見されたかわらけの破片など
http://yamagata-np.jp/news/201207/31/img_2012073100569.jpg
政宗は米沢生まれで、24歳までを過ごした。生誕地の「米沢城」は現在の上杉神社の場所にあったとされてきたが、
政宗時代に書かれた書物には「城は山の上にあった」との記述があることから、舘山城が生誕地との指摘もされていた。
本年度は10月ごろに調査を再開し、城跡北側の石垣を調べる。予定していた本丸部分は来年度調査する。市教委は
「伊達家の家紋が入った器などが見つかれば、生誕地と証明される」と話している。
ソース(山形新聞) http://yamagata-np.jp/news/201207/31/kj_2012073100765.php
ただいまコメントを受けつけておりません。